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無駄があるから人生は楽しい!『「自分は自分」でうまくいく―最強の生き方』(アーノルド・ベネット)を読む。

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若生悠矢@spectiveprophetです。

1900年前半に活躍したイギリスの小説家アーノルド・ベネットの『 「自分は自分」でうまくいく―最強の生き方』という本を読んでいます。

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アーノルド・ベネットとは

アーノルド・ベネットは1900年前半に活躍したイギリスの小説家です。

ひどい吃音で虚栄心の強く傲慢で、かつ貪欲で、とても癖のある人物だったようです。貪欲なだけに多作な小説家で、小説だけでなく本書のような自己啓発書も書いていました。

アーノルド・ベネット - Wikipedia

親の期待と挫折

あなたは「成功したい」と誰かに思い込まされていないか?

人が「成功したい」と思うのは、親によるものだと言っています。教育や、そのように教育された周囲の友達などの存在も同じです。

そして成功を目指すことや競争に巻き込まれることが常識となっていきます。

思春期から大人になる頃には、自分には大きなことを成し遂げられると思い込んでいるか、大きく挫かれているかのどちらかになっているのです。

アーノルド・ベネットは、そのどちらも苦しいだけの人生だと言っています。

「親の期待」は人を一生、苦しめる。

そして挫折は、人を一生苦しめる。

子供はどうしても、親や先生の期待に答えようとしてしまいます。なぜなら「期待に応えなさい」と教えられるからで、それ以外を知らないからです。

僕もずっと「期待されていないことはしたくない」と思っていました。

「期待されていないことなんてやっても意味がない」とか言い放っていた自分を思い出して、今となっては途方に暮れてしまいます。

これが自分なりの生存戦略であり、自分を守ることだと思っていたのですが、この積み重ねが「自分はどこへ行った?」などと自分を見失っていく原因だったのだと思い知らされることになります。

自分がこんな風になったのを親の期待のせいにするのは忍びないですが、アドラーなども同じようなことを言いますし、そういうものなのかなと思っています。

将来の目標に囚われた習慣

将来のために「今」を生きても、その将来が「今」になったとき、決して楽しめない。目標に執着するあまり自分の世界に閉じこもっていると、いつの間にか人との関わりを忘れてしまう。

一生懸命生きたには違いないが、本当の意味で生きたことにはならない。「自分の人生を生きたいのに、さっぱり方法がわからない」なんてあとで泣き言を並べても、もう遅いのだ。

僕にとって身にしみすぎて、呆然としてしまう言葉です。今まさに、この課題に取り組んでいます。

何をどうするという具体的なことはありませんが、がんばらず無理をせず、自分を生きたいと思っています。今なら、それが出来る気がしています。

無駄があるから人生は楽しい

無駄があるから人生は楽しい

本当に無駄なのは、完璧を求めることだ。時間もお金も、完璧を求めるほど無駄になる。

努力すると自分で自分を褒め、また他人からも褒められたりして調子に乗っていくことで、自分が苦しくなるまで高みを目指すことになります。

今という時間を無駄にするなとも言います。少なくとも「時間」のことや「お金」のことを考えている時間は、今をないがしろにしているように思います。

そのような時間をなるべく減らす意識も大事ですが、今この瞬間が続いて欲しいと思える時間を増やしたいです。

危険な道に思えても一歩踏み出す価値はあると、ぼくは思う。

失敗する人のほうが、実は視野が広い。

僕は大学中退して他の大学行ったり離婚したり借金を返済したりなどなど、ないに超したことのない失敗をしていると思います。

でも全部終わったことです。費やした時間や精神力や資産など、今はプラスマイナスゼロを通り越してプラスしか残っていません。単純な話しで借金で言うなら、マイナスだった総資産がゼロになってからはプラスに転じるだけです。

視野の広さというものかは分かりませんが、そういった問題を乗り越えたことで、それらと関係ない自由や楽しさを実感することができていることは確かです。

真実は眺める角度によって違ってくるが、ぼくが思うに、人生に必要なのはバランス感覚だ。

どうすればバランス感覚が身につくかと言うと、とにかく習慣、とくに思考習慣を変えることだ

真実は見る者の解釈に過ぎません。人生の幸福感は、その解釈に大きく左右されるのではないかと思います。

真実は変えられませんが、自分の解釈は変えることが出来ます。

アーノルド・ベネットはバランス感覚を身につけるために思考習慣を変えるという、とても難しいことを言っていると思いますが、僕はそれを読書と日々の行動で行っているつもりです。

このブログに紹介している本を見るだけでも、同じような本をたくさん読んでいると自分でも思いますが、気楽に読書をしながらフムフム言っているだけでも楽しいので、なんの負担もありません。

ブログを書くこともそうですし、人と接しているときも意識しようとしています。ぎこちないこともあると思いますが、それもまたご愛敬。

自分を変えようなどという無駄な足掻きも楽しければいいじゃないか、ということで。これからも楽しみたいと思います!

(おわり)