自分の幸福が全体の幸福。労働時間が減っていく時代を迎えるにあたって。
若生悠矢@spectiveprophetです。
僕は感情論や精神論が好きではありません。
僕がストア哲学やゲーテの思想、アドラー心理学に傾倒しているのも、自分の幸福のために努力することが全体(周囲)に対する最大の貢献だと言っているところです。
だから、僕と関わる人にも、自分の幸福のために生きて欲しいと思っています。
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感情論や精神論は命を削る
がんばれば上手くいくとか、一生懸命やることに価値があるとか、みんな大変なんだ、社会人は忍耐力が必要とか、僕にはまったく響きません。むしろ苛立ってしまいます。
自分が一定の責任を引き受けることを引き替えに、相手にも責任を押しつけているようにしか思えません。
こんな感情論や精神論を持ち出されると、心身ともに削られていきます。命が削られる感覚です。
実際に、僕は会社でも部下などにはそういう態度で接します。会社のルールなんかより自分を守るようにという姿勢で話しをします。その際に、周囲の負担なんて関係ないのです。
自分の問題とチームの問題は別の問題で、状況が変われば前提条件が変わるだけです。その変化についていくのは大変ですが、それこそ僕の役割なのです。
そういう僕は会社側の立場なのですが、僕を今の立場にしたのは会社ですし、そもそも僕は自由ですからね。
なぜ僕がこういう考え方になっていったかは、社会の変化を感じているからだと思います。
労働時間が減っていく社会での自分
『ゲーテの処世訓 悩める日本人へ贈る、生きるためのエネルギーと知恵』から引用します。
真面目に深く考える人は、大衆に対して分が悪い。
大衆に仕える者は、哀れむべきだ。誰からも感謝されない。
特に語るべきことがなければ、黙っているべきだ。けれども、考え抜いたことは、すぐさま躊躇せずに表明すべきだ。
時代を見すえ、時代に働きかける者だけが、語り、詩を作るに値する。
僕はこのブログを、こういうことを実践する場所にしています。しかしインターネットは、たとえ自分に分が悪かろうと不利益がない守られた場所ですので、かなり軽い取り組みだとは思っています。
これから、人が働く時間は確実に減っていきます。
日本政府の取り組みをみれば簡単に分かりますが、真剣にとらえている人は少ないように思います。
真剣に考えない理由は、今この瞬間そんなことをされても困る人が多いからです。
無理矢理感のある労働時間の制限や、外国人の登用や女性の活躍による労働力の確保によって、全体的な労働時間が平準化され、1人あたりの労働時間は減少傾向にあります。
加えて、人間が知恵を絞って効率化を進めてきたにも関わらず、これまでマッチポンプのように仕事が作られてきましたが、そろそろ限界なのだと僕は捉えています。
自分が働きたくないことを、社会の変化によるものだと正当化しているところもあるのですが、僕にとってはこれが生き生きとした実感であり、誰にも侵されることのない本質なので、こうやって書くことにしました。
このような流れの中で、自分の時間をどのように使うかが共通の課題になっていくものと考えています。
そして幸せになるには、自分の時間をどう使うかにかかっています。なのでこれから一層、哲学や思想、歴史を通じて、学びながら、実践していきたいと思っています。
(終わり)