現実と戦う芸術家、現実に寄り添う実務家。『ゲーテの処世訓 悩める日本人へ贈る、生きるためのエネルギーと知恵』を読む。
若生悠矢@spectiveprophetです。
『ゲーテの処世訓 悩める日本人へ贈る、生きるためのエネルギーと知恵』というゲーテの言葉を優しく訳した本があります。
全ページ名言に溢れていて、紹介するために引用を打ち込んでいくと模写のようになってしまい、紹介しあぐねていました。
そんななか今日ふと、ゲーテのとある言葉で、なぜ自分がこんなにも働きたくないのかが、すこしだけ分かった気がしました。
じわじわと響いてくる言葉ほど、腑に落ちている感じがしますね。
スポンサーリンク
物事の「本質」をみようとすることと「応用」すること
ゲーテの言葉にこんな言葉があります。
大衆は、新しい重要な現象が現れると、すぐにそれがどんな役に立つのかを知る。
本物の賢者は、新しい現象に関してそれ自体の本質とか、他のものとの関係を尋ねるか、その応用に関しては無関心だ。
応用に関しては、まったく別の能力を持った人々、つまり頭脳解析で、陽気で、技術に詳しく器用な人々がいる。
新しい現象に対する捉え方、関心の持ち方についてです。
賢者は新しい現象の本質や他のものとの関係性を求める。
大衆は新しい現象をどうにか応用して利益や名声を求める。
ゲーテは「大衆」「賢者」という言葉を用いていますが、そんなこと関係なく、思考回路、性格、素養、好き嫌いの問題といってもいいと思います。
両方を兼ね備えたスーパーマンだっているはずです。
年末にドラゴンクエスト30周年番組を見ましたが、堀井雄二、中村光一、すぎやまこういち、などのクリエーター集団は賢者と大衆を兼ね備えたスーパーマン集団だと思います。
労働に情熱を持てるか?
僕は会社に勤めていて、会社内ではそれなりに活躍していますが、頭脳明晰であることも陽気であることも技術力があることも、ただの作業だ、労働でしかないのです。
新しいことは好きだけど、それを実用化することや利益を生み出すことには全く興味がありません。
会社の利益を最大化することだけが目的に全てのことを考えなければならない感じが息苦しいのです。
しかも今の僕の役割は「仕事を作る」ことなので、まるで方向性が違っています。
色々なものを便利に使っておいてその発展に寄与しないでいいのか?と考えたこともあります。
でもこんな風に、自分の立場を棚に上げて考えて悩むこと自体が、本質に迫ろうとすることに他ならなかったのです。
「僕の役割は仕事を作り会社の発展、社会の発展に寄与することだ」などと自分を誤魔化しきれない本質的な価値観に迫ることでした。
現実と戦う芸術家、現実に寄り添う実務家
僕はどうしても、現実が無視できません。そういう意味で僕は、会社に勤めていなければ金にならない芸術家なのだと思います。
現実を言葉にしたい。そして行動を伴わせて、自分の世界を作りたい。
僕にとって、働くということは現実に寄り添うことです。現実に寄り添って他人の要請に従っていれば楽なのですが、それが難しいときもあるということ。
難しいと感じていることを書いている今もまた、あー、これが自分の今書くべきことだとか思っているのだから、しかたないですね。
(終わり)