こうなりたい!より、こうしたい!を大事にすると愛される!(かもしれないよ)
若生悠矢@spectiveprophetです。
楽しいことや嬉しいことだけではなく、死ぬほど落ち込んでも、ご飯が食べられなくなって、眠れなくなっても、この感情をただの感情で終わらせたくない!という自分がいる。
自分めんどくさいなと思うし、いちいち本気だしすぎだろとも思う。でもこうだから自分がいるんだと思うし、何かを書くことができるのだと思っている。
「こうしたい!」と思うパワーは生きる力になる!(むりやり!)
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「こうなりたい」ではなく「こうしたい」
たとえば、「声優になりたい!」といってまわる人は、あまり信用できない。
聞いてる方はきっと、一体キミはなにを求めてるの?(わけわからないよ)だろう。
「声優になりたい」は本当こうではないだろうか。
私は有名になりたい!私で人を楽しませたい。できそうなのは、声優かな?
具体的にいうと、私は誰かを演じているときが一番楽しい!声にも自信がある(けっこういいでしょ?)自分の体を動かして演じるのは苦手かも。だから自分は声優になることで、なりたい自分が実現できるかもしれない。わからないけど、やってみたい!
まだ抽象的だけど、人となりをもってすれば応援したくなるだろう。
僕は前半の部分だけでも、おもしろい人だなと思える。後半のように熱く語ってくれたら、きっと応援したくなる。
なにより自由な感じがする。この人はきっと声優じゃなくてもいい。自分のできることで有名になったり、そうでなくても、周りの人を楽しませていれば幸せなのだ。
僕の「こうしたい」についてすこし
たびたびこのブログに漏れ出している「恋人が欲しい!」なんて言っている自分も、人からみたら信用できないはずだ。
よくある話しで、とにかく彼氏が欲しい、彼女が欲しいとだけ言っている人は多い。
本人はなぜそう思うかを考えているんだろうけど伝わっていないし。寂しいだけだろ?、と思われていることも知らない。本当に寂しいだけだと、それはやっかいな男(女)だ。
そんなこんなで僕の「恋人が欲しい」ということについて紐解いてみよう。
恋人や夫婦といった、唯一の異性との生活は人生を豊かにする。
一時期は一生独り身で女性と関わらない人生を求めたこともあったけど、やっぱりこの感情から逃げることはできなかった。人間の本質からはあまり逃げないほうがいい。本能を押し込め苦悩し始めたら、人生そのものを破綻させてしまう可能性がある。
人生の面白さを分かち合いたいし、日々の生活を分かち合う安心感も欲しい。おっぱいを揉みたい!お互いで個人を尊重して、お互いが成長する手助けができればいいし、一緒に成長しながら老いていけるといい。
そうしていくことは良いことばかりじゃないけど、悪いことばかりじゃない。でも何もないよりは、だいぶマシだ。
こう考えていれば、結局男女の問題は組み合わせの良し悪しの問題なんじゃないかと思えてくる。実際は、そう簡単じゃない感情で苦しむんだけど、事実はこうなのだ。
と、ブログの流れ上、恋愛ネタを出してみたけれど、僕には恋愛以外にも自分がやるべきことをやっている。
小説や、このブログもそうだ。これらは別に「ただ書きたい」から書いているわけではない。しかし長くなってきたので、その話しは別にしよう。
(終わり)