がんばらない。無理をしない。それだけで悩みの多くは解決するのではないか?
若生悠矢@spectiveprophetです。
人はいつも何かに悩んでいるが、その悩みは「他者」がいるが故に意識する自分のことである。
ひとりぼっちの世界では悩みごとなど発生しない。ご飯が食べられなかったり寒さに震えたりしても、それは悩みごとではなく解決すべき問題である。
経済状況や将来の夢なども悩みごととして考えられるが、それも結局「他者」がいるが故に「自分もこうなりたい」という悩みになっているということだ。
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悩みの本質は「本音」と「思い」の乖離
悩みの本質は、「本音」と「思い」の乖離である。
本音は「こうしたい」けど、「こうなれない」という思い。
本音は「好き(嫌い)」だけど、「一緒にいられない(一緒にいないといけない)」という思い。
この「本音」と「思い」が乖離しているから悩む。
「思い」は現実ではなく、自分だけの思い。現実とは、自分がそう思った原因のことで、排除することはできない。原因がなんだろうと、縁・タイミングとして受け入れるしかない。
悩みの解決方法はただ1つ
悩みの解決方法はただ1つ。本音で行動する、本音を相手に話すことだ。
もしそれで上手くいかなかったり相手との関係が壊れるなら、それらから解放されるという解決に向かうことができる。
生活をしていれば、ほとんどが意味のないことや意味のない人間関係で、それらは適当にやり過ごしているし悩みの種にもならない。
それでも「本音」が生まれてしまったら、「本音」を言って現れる状況が真実で、本音を言わず「噓」をついて現れる状況は偽物(まやかし)だ。
「本音を言えない」という悩みはない。それは「本音を言って悩みを解決したくない」という思いに他ならないのだから。
僕の「本音」は?
僕は自分のやりたいことや色々な人間関係において「本音」を言ってこなかった。
嘘ばっかりついていた。自分で偽物の状況を作り出し自分で苦しんでいた。
それが分かったところで過去に戻って自分をやり直すことはできないし、過去に戻れないことが悩みなのではない。
僕の「本音」は過去に戻りたいのではなくて、新しい日々を楽しく過ごしたいということだ。
今はそれを「本音」として意識しているけど、そのうち自然になっていくだろう。
なぜなら「本音」を出すのは思うほど難しくなく、がんばらず無理をしないでいるくらいだから。
多くの「思い」は自分と関係なかった
そうしていると、僕の「本音」は意外と少なく、多くの「思い」は自分と関係のないことだと気づいた。自分と関係のない「思い」はこういったものだ。
- 思わなくちゃいけない(常識に依存している)
- 思わされている(相手に依存している)
- 思おうとしている(自分の嘘に依存している)
()に書いたとおり、僕の「思い」の多くは何かに依存したものであり、がんばって無理をしないと維持できない思いだった。
がんばらず無理をしなければ悩みから解放される
がんばらず無理をしなければ、これら自分と関係のない「思い」を解放することができ、悩みの多くは解決するのではないだろうか。
いつかこんなことも意識しなくなれば、僕の本質が変わったということ。このエントリーも、無駄にクドい文章なんなんだ!といって修正するときがくるといいな。
(おわり)