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ダンスするように生きよう!アドラー心理学『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健)を読む!(第2回)

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若生悠矢@spectiveprophetです。

「アドラー心理学を学ぶ」シリーズの第2回です。

今日は、時間の捉え方について書きます。

第1回

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トラウマは存在しない!

これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない

アドラーはトラウマを否定します。記憶は今の自分に都合が良いようにねつ造されるといい、歴史さえも残したい者による都合の良いねつ造だといいます。

つまりアドラーは原因論ではなく目的論で説明します。今の自分の記憶も、今残っている歴史も、目的をもって解釈され存在するものだと。

こう言われてみて思うのが、過去のトラウマを引き合いに出して今やこれからを語るという方法というのを自分で思いついた気がしません。最初からそんな能力が備わっていたとも思えない。

ということは、今の自分を説明するときにトラウマを持ち出すこと自体、そうしたほうが整合性があり説明がしやすいということを学習しただけだと思えてきませんか?

そう自分が納得したからには一貫性を守らなくてはいけなくなり、自分がこしらえたトラウマに縛られる。

「そんなこといっても変われない!」というのもまた、これまでの自分から変わるのが怖いから、変わらないと強く決心しているから。

突き詰めると、いろいろな思考回路が自分のものじゃない気さえしてきます。

人生とは連続する刹那である

  • 人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する切那

  • 目的地は存在しない

  • 過程そのものを結果としてみなす

飼っていた猫を思い出します。猫は短気記憶が10分くらいしかもたないそうです。

いつもフラフラしていて、たまに驚いて、興奮して、食べて、寝る。

かわいい!存在しているだけでいい。ありがとう!

なぜ猫には素直になれるのに、相手が人間だと変な感情が生まれるのだろう。

僕も記憶が10分くらいしかなかったら、みんなに可愛がってもらえるかなあ。

トラウマの話しに通じますが、記憶があるからそれを使わないといけない気がするけど、別にそんなことないんですよね。

僕は過去や記憶を重視するせいで、猫のように今ここに集中できません。

失敗した過去になるのが嫌で、好きなようにできない。

頑張らなかった過去になるのが嫌で、将来のためと言い訳をして無理をする。

そして他人の記憶に変な自分を残したくないから、人前で無邪気になれない。

アドラーはこれらの理由をひと言、過剰な自意識のせいといっています。その通りですね。

僕は後悔しないために今の自分を捨てて自己肯定をしようとしてきたけれど、本当にするべきは今の自分を理由なしに全面的に受け入れる自己受容でした。

自分の人生を過去のせいにしてはもったいない。知らない未来のために生きてはもったいない。

今が人生の結果。そうして常に結果を出して生きていくほうが、かっこいいじゃないか!

(つづく)